花街についての記事『テキストにもない「花街」の秘密』が掲載されています

2015/12/17

花街についての記事『テキストにもない「花街」の秘密/忠臣蔵・大石が通った「一力亭」は 検定1級記者が教えます!』が掲載されています。

【京都検定直前講座】テキストにもない「花街」の秘密/忠臣蔵・大石が通った「一力亭」は 検定1級記者が教えます!(1/5ページ) – 産経WEST

京都検定の受検日が今年も12月13日に迫っている。年1回行われる検定は、今回で12回目となるが、7千人以上が受検を申し込むなど、数あるご当地検定の中でも人気の検定だ。受検者たちは、公式テキストを片手に必死に追い込みに励んでいる時期だろう。実は、受検者たちの中で、苦手テーマのひとつとする人が少なくないのが「花街」だ。寺社などと異なって、地元の人たちでも訪れる機会が多くない、という事情もあるようだ。今回は直前講座と銘打って、京都検定1級を合格した経歴を持つ京都総局の園田和洋記者が、これまでの取材経験を生かし、写真と公式テキストにも書かれていないエピソードを交えながら花街を紹介する。受検者必見の虎の巻だ。

まずは歴史から

 「花街」の語源は、公式テキストにも書かれている通り、花街に柳や花が多く植えられていたとか、花や柳を遊女にたとえたことを意味する「花街柳巷(かがいりゅうこう)」から来ている。

 江戸時代前に公式の花街として栄えたのが吉野太夫で有名な「島原」。そこに豊臣秀吉が催した北野大茶湯がもとで始まった上七軒が加わる。

 さらに江戸期に入ると祇園社(今の八坂神社)への参拝者向けに出たお茶屋がもとで祇園が誕生し、四条川端の芝居小屋周囲に発展した宮川町、さらには鴨川堤防の改修で先斗町と、18世紀初めまでに花街が次々誕生する。

 ちなみに祇園といえば、まず四条花見小路の南側が思い浮かぶが、当時は近くの禅宗寺院・建仁寺の敷地内で、明治以降に今のような景観に整えられていく。 このため、歌舞伎の忠臣蔵で大石内蔵助が山科の居宅から通ったとされる、あの有名な「一力亭」も当時は今の場所になかったことになる。

 実は大石が通ったのは祇園ではなく、伏見の橦木町(しゅもくちょう)にあった花街ともされ、そこにあった万屋の「万」を分解して「一力」となっという話もある。